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サムライやニンジャだけではない日本の魅力を、映画にして世界に伝えたい

2015.10.07
映画監督で脚本家のアロン・ウルフォークさんは、大の親日家。92年から約1年間暮らした高知を舞台に、映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』(2009年)の脚本、監督を手がけました。

この作品の主人公ダニエルは、高知で英語教師をしながら絵を描いて暮らしていた一人息子ミッキーが交通事故で亡くなったのをきっかけに、日本にやってきます。戦後、日本兵から父親がひどい扱いを受けたことで、日本への嫌悪感を露わにしていたダニエルでしたが、高知でミッキーが愛した女性やミッキーの同僚、生徒たちと出会い、日本に対する想いが変わっていく姿が丁寧に描かれています。現在は、映画製作のほか、日本映像翻訳アカデミーのロサンゼルス校で、英語の授業も担当しているアロンさんに、この作品に込めた想いや、撮影時の日本のスタッフとのコミュニケーションなどについて聞いてみました。
日本に来たいと思ったきっかけは何でしたか?
日本との最初の出会いは、僕が3歳の時、両親のすすめでバイオリンを習い始めた時です。日本人バイオリニスト、鈴木鎮一先生が創設した子どものためのバイオリン教育法「スズキ・メソード」を学びました。僕は今でも子どものころ、鈴木先生の膝の上に座っていたことを覚えています。さらに、エレメンタリースクール2年生で7歳の時のミネモト先生が日系アメリカ人でした。彼女が僕たちに日本の文化や生活についてよく話してくれたんです。中でも俳句や着物といった話題が僕にはとても面白くて、さらに日本に興味を持ちました。
映画『『The Harimaya Bridge はりまや橋』
(C) Harimaya Bridge, LLP
子どものころから、身近に日本を知る機会があったんですね。アロンさんが育ったオークランドには、日本以外にもさまざまな国の人がいらしたそうですね。
はい。アフリカ人、アジア人とさまざまな国の友人がいました。そしてそれぞれの文化に触れる機会が多くて楽しかった。あらゆる国の映画を観たり、あらゆる国のフェスティバルに行ったりして異文化に触れる楽しみを自然に知りました。もちろん、日本の映画も大好きでした。特に思い入れがあるのが黒澤明監督の『生きる』です。また伊丹十三監督の作品も『タンポポ』『ミンボーの女』『マルサの女』などたくさん観ました。これも日本へ来るきっかけの一つになりましたね。
初めて日本に来た時のことを教えてください。日本語でコミュニケーションはとれましたか?

アメリカで大学を卒業後、1992年にJETプログラムの英語教師として高知に来ました。アメリカでも日本語は勉強していましたが、当初は「おはようございます」「さようなら」といった挨拶程度しか話せませんでした。高知県では県の教育事務所に所属し、いくつかの中学校へ派遣されて日本人の英語教師のサポートをしていました。このプログラムの目的は子どもたちが英語で話すことだったので、生徒たちとの会話はほとんど英語でしたね。実はこの時の生徒たちとは今でも親交があります。彼らもすでに家庭を持つ年齢になりましたが、連絡を取り合っています。ある女子生徒は、僕の授業をきっかけに英語に興味を持つようになり、後に高知で英語の先生になりました。

僕はこの時からフィルムメーカーになる夢を持っていて、いつか自分の作品を撮る時は日本で撮りたいと思いはじめました。そしてアメリカに帰国後、コロンビア大学大学院芸術学科映画専攻に入学。その後高知を舞台に、まず2本のショートフィルム『黒い羊』『駅』を制作しました。
映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』にも高知で英語教師をしているアメリカ人青年ミッキーが登場し、彼が所属していたのはやはり教育事務所。ミッキーのモデルはアロンさんご自身なのかなと感じたのですが…。
この作品そのものはフィクションですが、僕のこれまでの経験や想いがベースになってできた物語です。実は僕も両親が教師で、友人にも教師が多いので、教育の現場は僕にとって身近で描きやすかった。ただし、ミッキーの父親ダニエルは、日本を嫌っていますが、僕の両親は日本に行くことを強く勧めてくれました。彼らの後押しがなければ僕が日本に来ることはなかったし、この映画もなかったでしょう。

『The Harimaya Bridge はりまや橋』の撮影は日本とアメリカで行われたそうですね。
撮影時に日本の俳優やスタッフとのコミュニケーションで困ったこと、逆に言葉がなくても分かり合えたことはありますか?
この作品は高知で5週間、サンフランシスコで1週間かけて撮影しました。僕はどちらでも監督として携わることに変わりはないのですが、日本とアメリカとでは全く違う“muscles”を使っていたと思います。例えばアメリカでは僕が日本語をそれほど話せなくても、現場や公式の場で困るようなことはほとんどなく、現場全体を把握することができました。しかし、日本での撮影では、日本人スタッフや俳優の状況をすべて把握するのは難しかった。現場ではさまざまなところでスタッフ同士が日本語で会話しています。音響と録音アシスタント、ヘアメイクアーティストと衣装担当などさまざまなところで20あまりの小さな会話が交わされていました。しかし、彼らの日本語はとても早くて僕には理解できなかったのです。
映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』撮影現場にて高岡早紀さんと
(C) Harimaya Bridge, LLP
日本人の私にも同じ経験があります。私も複数の英語ネイティブと話すとどんどん英語が早くなって時々追いつけなくなってしまいます。
そうなんです。たとえ通訳を介していなくても1対1ならゆっくり話したり、言い直したりしてなんとかお互いを理解しようと努力できる。でも、複数を相手にすると彼ら同士の母国語がどんどん早くなってしまい、ノンネイティブには聴き取れなくなってしまうのです。でも日本でのこうした経験は、僕に監督としての新たな能力をもたらしてくれました。居心地のいい場所ばかりではなかったおかげで、日本人の出演者やスタッフとよりよいコミュニケーションを取るために常に気をつかい、理解しようとしました。そして、そこから撮影スタッフとの間によいリズムが生まれ、スムーズなコミュニケーションが取れるようになったのです。
この作品では高知の方言も沢山でてきますよね。ミッキーの同僚だった教師たちが、“○○さん”ではなく、“○○先生”と呼び合っているのも日本人らしくてリアルだなと思いました。
脚本は僕が英語で書き、それを日本語に翻訳したものをもとにして、方言指導者に日本語のセリフをつくってもらいました。方言はその土地の魅力を描くためには欠かせない要素なので取り入れたかったし、日本人が聞いて違和感のないものになっていると思います。初めて高知に来た時に魅かれたのは、美しい田園風景、そしてカツオのタタキなどの素晴らしい食文化やよさこい祭りなどの伝統文化です。こうした何気ない日常の生活をもっと世界の人にも知ってほしいと思ったのが、この作品を撮ったきっかけでした。地元の皆さんも外国人が高知の歴史や文化を伝えることをとても喜んでくれて、地元のメディアでも取り上げてもらいました。

日本にはその各地にそれぞれ独自の文化があるのに、ハリウッドが日本を描くと、サムライ、ゲイシャ、ニンジャ、トウキョウといったステレオタイプのイメージばかり。僕にはとても違和感がありました。この映画では、日本を嫌っていたはずのダニエルが、ミッキーを温かく見守ってくれていた地元の人々との交流を通して、理解を深めていく様子を描きたかったのです。
よさこい祭りを映画で世界に紹介
(C) Harimaya Bridge, LLP
はじめは土足で部屋にあがっていたダニエルが、靴を無造作に脱ぐようになり、やがて手を添えて揃えるようになるシーンにも異文化を受け入れていく彼の心の動きを感じました。ところで、アロンさんが初めて日本に来た20数年前に比べて日本人の英語でのコミュニケーション力は上がったと思いますか?
この20年、多くの日本人が海外へ行くようになり英語圏の国で過ごす機会は増えてきました。彼らの英語力は確かに上がっていると思います。でも個人的な意見を言わせてもらうと、日本国内にのみいる日本人の英語力は当時とあまり変わっていないように思います。
その原因は、日本の英語学習では、試験に合格することが主な目的になっているからではないでしょうか? 会話をして相手と分かり合うことには重きをおいていないと感じます。語学を身につけるために最適な方法は、その国へ行って24時間その言語の中にいる環境をつくること。もちろん、誰もができるわけではありませんが、やはりそれがベストだと思います。僕自身アメリカで日本語の文法や単語を学んでいましたが、なかなか身につかなかった。でも日本に来たら24時間どっぷりと日本語に浸かり、嫌でも日本語を話さざるを得ない環境があったので、急激に日本語力が伸びました。それはどんな言語でも同じだと思います。
映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』より
ベン・ギロリさん、高岡早紀さんのシーン
(C) Harimaya Bridge, LLP
アロンさんは今でも日本に毎年訪れるそうですが、その時は今でも日本語を話しますか?
日本にいたのはもう20年以上前ですし、さすがに、今では日本語を忘れてしまって部分的にしか話せません。でも、日本で日本人と会った時、僕は日本語で話しかけるようにしています。ここは日本だから、いきなり英語で話しかけるのはrude(失礼)だと思います。たとえ、broken Japaneseでもそれが相手への礼儀ですし、相手も僕が分かるようにゆっくり話してくれたり、英語を交えたりしてくれるからそれでも分かり合えます。でもなかには、日本人でも英語を勉強していてネイティブと英語で話したい人もいる。それが分ればそこから英語で話せばいいんです。異国にいる時は、自分がその国に合わせることが大切だと思っています。
映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』撮影現場にて白石美帆さん、穂のかさんと
(C) Harimaya Bridge, LLP
アロンさんが日本をリスペクトしてくれる気持ちがきっと相手にも通じるんですね。日本人もその想いを持って英語で話せば英語ネイティブも理解してくれるのでしょうか?
その通りです。一番よくないのは、間違いを恐れてはじめから何も話さないこと。Don't be afraid to make mistakes!  一番大切なのはコミュニケーションを取ることなのですから。たとえ、間違えたとしても相手は正しい英語に直してくれます。それは学べるチャンスなんです。でも何も話さなければ恥ずかしい思いもしないかわりに何も学べませんし、いつまで経っても上達できません。とりあえず、話してみることがコミュニケーションの第1歩。大切なのはお互いを理解しようとする“思いやり”だと思います。
『The Harimaya Bridge はりまや橋』のDVDのインタビュー映像で、アロンさんが僕はcitizen of the worldだと話していたのが印象的でした。その真意を教えてください。
サンフランシスコであらゆるバックグランドを持つ友人に囲まれていたので、異文化交流には始めから興味がありました。でも日本へきて高知の人たちと交流を深めるうちにますますその想いがますます強くなりました。世界にはさまざまな文化や言語がありますが、表面的な所だけでなく深くつきあっていけば、根本は変わらないものです。そうして世界のボーダーを超えていけばもっといいコミュニケーションが取れるはず。今は多くの人がインターネットを利用していて、世界中の人と簡単に交流できるようになったので、今後ますますグローバルなコミュニケーションが求められると思います。
映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』の撮影現場にてベン・ギロリさん、ダニー・グローヴァーさんと
(C) Harimaya Bridge, LLP
アロンさんは日本の音楽もお好きだそうですね。
はい、92年に高知に来た頃、竹内まりやさんのアルバム『QUIET LIFE』が人気で、僕もよく聴いていました。今でもお気に入りの一枚です。彼女の歌の内容を知りたくて、僕自身も辞書で調べたり、日本人の友人に教えてもらったりしたので、歌詞の物語もだいたい理解しています。特に好きなのは『FOREVER FRIENDS』 ですね。実は彼女へのリスペクトから、映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』のミッキーの同僚の教師に竹内先生、ミッキーの娘にマリヤと彼女の名前にちなんだ役名をつけています。また、DREAMS COME TRUEも好きで3回ほどコンサートに行ったことがありますし、最近はSuperflyもよく聴いていますね。
日本人も洋楽の歌詞や映画のセリフを知りたくて英語に興味を持ったという人が多いと思います。やはり勉強としてではなく、異文化の相手を理解したいという気持ちが一番のモチベーションなんですね。最後にアロンさんが最近手がけている作品について教えてください。
ゴーストがテーマのpodcastシリーズ『Earbud Theater』で、僕が書いた物語、”There's Something Going On With Sam”(※世界のfree audio dramaに与えられる賞、 Audio Verse Awards2015にノミネート)を聞くことができます。

http://earbudtheater.com/podplay-index/
https://itunes.apple.com/us/podcast/earbud-theater/id894353107

映画の撮影の企画もあります。日本で撮影予定の“ The Christmas Lights of Tosa”とアメリカで撮影する“Summer SOULstice”の2本です。他にも、“ The Emperor Delancy”という小説も書いています。ぜひ楽しみにしていてください!
アロン・ウルフォーク
アメリカ・カリフォルニア州オークランド出身。1992年JETプログラムで英語教師として高知県に赴任する。2009年、高知県を舞台にした映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』を制作。現在は、映画制作や小説の執筆に加え、日本映像翻訳アカデミー(JVTA)のロサンゼルス校にて英語の指導も行うなど幅広く活動している。
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