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過去×現在は、私の生き方へとつながる ~華道「未生流笹岡」師範 川口志秀さん~

2017.7.07
中国・成都。大勢の中国人女性たちが見つめる先には、艶やかにいけばなのパフォーマンスを披露するひとりの日本人女性――。華道「未生流笹岡」師範の川口志秀さんは、これまで中国をはじめ、イタリア・スイス・インドネシアなどの国で、いけばなの魅力や文化を伝えるために活動をしてきました。また国内では、京都のホテルや東京の観光案内施設、自治体公共施設などで外国人向けいけばな教室の講師として活躍しています。「こんな未来が待っていたなんて想像できなかった」、と川口さんは語ります。

さまざまな経験を経て、今の私がある。

いけばなとの出会いは13年ほど前。当時、貿易関係の仕事をしていた川口さんは、輸入事業部の立ち上げや海外営業などの業務に携わり、充実した毎日を送っていました。しかし経験を重ねるうち、もっと私にしかできない仕事がしたいと思いはじめていたそうです。

―― ちょうど同じ頃、今の夫である彼の実家に強盗が入る、という事件が起きました。傷心の家族や荒らされた家の様子を目の前に私は茫然とするだけ…。そんな中、花つぼいっぱいにいけられた桜の花が目に飛び込んできました。人の愚かさや哀しみを静観しながらも凛と上を向いて咲く、その強さと美しさに心を奪われました。しばらくの間、なぜかその場に立ち尽くしていました。

この事件をきっかけに川口さんの人生は大きく変わりはじめます。
いけばなという日本古来の伝統文化に強く引かれるようになっていきました。

―― いけばなは、かならず花の顔を上に向けていけます。“逆境でも前向きで向上心を持って生きなさい”という教えだと聞いたとき、何か運命的なものを感じました。あの日も、そんなメッセージを直観的に感じていたのかもしれません。

それから約5年の修業を経て、川口さんは未生流笹岡の師範となりました。
もともといつか日本の伝統文化を学びたいと思っていた川口さん。そこにはこんな思いがあったそうです。

―― 中国で貿易の勉強をするのが夢だった私は、高校卒業後4年間の留学をしました。そこで得た経験や思い出は、今でも人生の基盤となっています。中国では、文化・歴史・民族を超え、たくさんの友情と出会いました。専科大学の授業についていくのが必死だった私をいつも支えてくれたのは中国の友人たち。仲秋節に見た満月や月餅の味、二胡の音色や大声で大合唱したこと、春節に親戚宅でバクチクを楽しんだこと…、一緒に過ごした日々はかけがえのないものです。私もいつかそんなふうに日本の伝統や美しさを海外の人に伝えられたなら…と思っていました。

未生流笹岡だからこそ、世界に伝えやすい!

未生流笹岡は1919年、笹岡竹甫氏によって創流された伝統と革新を兼ね備えた流派のひとつ。外国人にも分かりやすい流派ならではの技法や教えがあるそうです。

そのひとつが寸法表の使用です。寸法表は先人が培ってきた技術を誰でも簡単に修得できるように、花の切り方・挿し方・長さ・角度などを、センチメートル単位で図面に起こしたものです。

―― 日本人はいけばなに慣れ親しんでいるため、ニュアンスで教えることが可能ですが、外国人にはあいまいな表現では伝わりません。“少し~しましょう”などの“少し”は典型的な例ですね。寸法表には具体的な数字や図が記されているため、外国人でも明確に理解することができます。翻訳をした寸法表を用いて、受講生を指導しています。

また寸法表は受講生だけでなく、師範自身が伝統技術を正しく学び、伝えていくことにも役立っているそうです。

―― いけばなはセンスでいけるものではなく、先人からの知恵をお借りし、後世に引き継いでいく伝統文化。残念ながら海外ではまだ“和風の花を挿せばいけばな”と認識されている部分があるようです。いわゆる“寿司ロール”や“みそスープ”のような表面的なイメージにならないよう、私たちは正しく教えていかなければなりません。

花の美意識についても、いけばな特有の教えがあるそうです。

―― フラワーアレンジメントは面が、いけばなは空間と線が大事だと考えられています。そのため不要な花や枝葉はすべて削ぎ落とし、引き算の美を追及していきますが、外国人にはなかなか理解してもらえません。 いけばなは単に美しく見せることだけではなく花を通して学ぶ哲学であるということをまず伝え、「余白が花の存在感をより際立たせること」、「時の経過と生命の移ろいといった日本特有の美意識を知ること」などで、いけばな本来の魅力を分かってもらえます。

いけばなを世界へ! 私の未来を懸けてみたい。

これまで多くの外国人にいけばなを教えてきた川口さん。未生流笹岡を世界に広めていきたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

―― はじめて参加した海外との交流活動「京都・ジョグジャカルタ姉妹府州提携25周年」で家元や先輩方とインドネシアに行きました。国立博物館でのいけばな展をはじめ、王宮での晩餐会では民族音楽ガムランの演奏に合わせて、王女の私物であるアンティークの馬車に花をいけました。そのとき、両国の美しい伝統文化が溶け合う瞬間を肌で感じ、いけばなが異国の文化をさらに美しく演出できるという喜びを知りました。帰りの空港では先輩に「今度はあなたたちが背負っていくのよ」といわれ、“私は世界にいけばなを伝えていくために講師になろう”と決心しました。
(写真提供/華道「未生流笹岡」家元)
それから6年間、川口さんはいけばなを世界に伝えるため全力疾走してきました。未生流笹岡での訪日観光客向けのインバウンド事業や海外事業の立ち上げをはじめ、各国の文化交流使節団への参加。また、国際文化団体のいけばなインターナショナルでは、流派の垣根を越え、いけばなの普及と文化交流に積極的に取り組んでいます。

―― 先月は、中国・成都でイベントを任せていただきました。会場には100名を超える人々が、香港や広州など中国各地から飛行機に乗って参加してくれました。入口には「いけばなの先生と華道人生」という題目とともに私の名前が書かれた大きな看板が…。こんなに多くの人々から歓迎されているんだと思うと、幸せな気持ちでいっぱいでした。みなさんから注がれるまなざしや歓声、好奇心いっぱいの質問など、会場で味わった一体感はこれまで得たことのない、大変素晴らしい経験となりました。
未生流笹岡はもうすぐ100周年を迎えます。川口さんの次のステージにはどんな世界が広がっているのでしょうか?

―― これまでは公式HPの英語版やSNS、海外に住むお弟子さんや知人などを通して、自己流の広報活動をおこなってきました。でもこれからはもっと専門的な体制を整えていき、未生流笹岡を積極的に世界へ発信していきたいと思っています。また、最近は海外にもお弟子さんが増えているので、彼女たちがいずれ師範となり活躍できるよう、さらには次なるお弟子さんを育てていけるよう導いてあげたいです。そしてどんどん海外でもいけばな展を開催してほしいと願っています。いつか彼女たちと、日本と外国の文化が融合した“新しいカタチのいけばなスタイル”を追求していけたら本当に素敵ですね。

いけばなを前にすると、人はいろんな表情を見せてくれます。
国を超えても喜怒哀楽は同じ、いけばなを通してそんな人間らしさを共有できる瞬間が、私はたまらなく好きです。
“To teach is to learn”(教えることは学ぶこと)―― これからもこれが私の信念です。
川口志秀
かわぐち・しほ●高校卒業後、4年間の中国留学を経て、貿易関係の仕事に就く。華道 未生流笹岡に入門し、家元 笹岡隆甫に師事。現在は師範代として国内外でいけばな教室を開催。中国語でも指導をおこなっている。いけばなインターナショナル会員。

●華道 未生流笹岡 公式HP ⇒ http://www.kadou.net/

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